去年の年明けから本格的にブログを書くようになり、見てくださる方も増えてきたので、自己紹介も兼ねて現在に至るまでを簡単に説明したいと思います。
【幼稚園~中学時代】
場面緘黙でした。
意思表示は首振りか筆談のみという生活を約10年間続けました。
当時はネットもない時代で喋れないのはずっと「性格のせい」だと思い込み、小学生の頃はいじめを受けたこともありました。
【高校~専門時代】
少しは喋れるようになったが、自分から話しかけたり複数人の会話に入れなかったり後遺症的なものは続く。この頃から社交不安になっていたのかもしれません。
【社会人編①】
専門学校を卒業後、正社員として就職するも5日で退職。
そのあと車の免許を取るためアルバイトを転々としながら教習所に通い、20歳の時に免許を取ることに成功。(免許取得まで約1年かかった)
21歳で初めて埼玉のアパートで一人暮らしをする。(1年ほどで解約)
メロコアという音楽ジャンルにハマって毎日のように聴いてました。髪を金髪にしたり派手な色にしていたのもこの時期でしたね。
【社会人編②】
20代半ば東京(北千住)で一人暮らしを始める。
ニコニコ動画の影響でオタク趣味に走る。
ボカロ、アニメ、フィギュア、PCゲーム(エロゲ)などに興味を持ち始め、秋葉原に頻繁に行っていた時期でもあります。
【社会人編③】
30歳の時にTwitter(X)を始める。
32歳の頃にネットで場面緘黙症という言葉を知り、幼少期の生きづらさの原因が分かる。その後Twitterで自分と同じような境遇(緘黙)のフォロワーと交流する。
仕事が続かず生活が厳しくなって九州の実家に帰ることに。
33~35歳までの約3年間は実家で引きこもりのような生活を送る。
父親がしびれを切らし実家から追い出される。
【社会人編④】
学生時代に過ごした埼玉に戻って再び一人暮らしを始める。
20代の頃以上に仕事が続かなくなり、短期離職を繰り返す。
職場で出会った女性と付き合うも約3カ月で終わる。
新たな恋を求め出会い系アプリに登録したが全く相手にされず、業者(サクラ)から金をむしり取られそうになる。
急性前立腺炎になり血尿と39度の熱が出る。(原因不明)
【生活保護編】
38歳の頃に生活保護受給スタート
同年に精神科通院スタート。
医師に「社会不安障害」と診断される。
精神福祉手帳2級取得。
A型作業所で約4か月間働く。
デイケア(ショートケア)に通い現在に至る。
大体こんな感じです。わりとざっくりなのでまとまってないかもしれませんが、思いついたものをそのまま書いてみました。個人的なターニングポイントは場面緘黙を知った事で、それまでのモヤモヤが解消されたことが大きかったです。
もっと早い段階で分かっていたら一人暮らしをすることもなく、別の生き方をしていた可能性もあります。それが良いか悪いかは別として。
振り返ると生きづらさの原因が分かってから、生活保護を受けるまでの数年間がつらかったように感じます。障害があると分かっていても精神科に行く勇気がなくて、アルバイトや派遣を転々とする日々を送っていました。
もし、自分と同じような境遇の人がいたとしたら、負のループから抜け出すためにも早めに精神科に行くことをお勧めします。